「恥の文化」は消え行くのか

 ここ数年でいい意味でも悪い意味でも世の中が変わってきている事を実感せざるを得ません。私は時間と同じように、物事は一方方向に進んでいて進化というのは前進する事と認識していましたが、必ずしもそうではない事に気が付き始めました。まぁそれも進化の一側面であり、別の面が進化していると言えるのかもしれませんが。

 

【昔より良くなっていると感じるもの】

・食べ物の美味しさ      ・娯楽のバリエーションと質

・科学技術や情報機器の進歩  ・医療の進歩

・情報へのアクセス      ・世界との繋がり

・形としての平等

【昔より悪くなっていると感じるもの】

・役所  ・働き方  ・政治  ・教育  ・メディア  ・治安  ・経済関連

【変わらないもの】

・音楽  ・アート  ・スポーツ

 ざっと思いつくものを列挙してみましたが、悪くなっているものは主に国としての柱みたいな部分ですね。ふむ。

 

 そもそも今回は何を書こうと思ったかというと、メディアについてです。私は昔はテレビに出ている人というのは才能があるから出ているのだと信じ切っていましたが、そうではなく、作る側にとって「心地よい仲間」であることが結構重要であったり、何かの力で操作されているものだということをいい大人になってやっと気がつきました。

 

 そういうことがわかって見始めると、めちゃくちゃ素材(映像やコメントなど)があるのに全く報道しないジャニーズの問題や猿之助氏の騒動と、今回のガーシー氏の騒動との激しい落差に目が点になってしまいました。いち早く中継したり速報を出したりして勇んで報道している様子を見ていると、何だかなーとモヤモヤした気持ちになります。自分達の心が痛まないケースになったら、急に手の平を返したようにアグレッシブに報道し始めたように見えて、恥ずかしくないのかなという気持ちが湧き上がってきました。

 

 ガーシー氏についてはどうでもいいのですが、自分にとって都合のいい(影響のない)事だけに大きく出て、少しでも自分に不利になりそうな事はスルー。カッコ悪いにも程がある。構図を見ると弱いものいじめというのか、長いものに巻かれろ精神というか、、、そういうことして恥ずかしくないのかなーみたいな事をメディア以外でも見聞きする機会が増えてきた気がします。当事者達は気がついていないんだろうと思います。なんていうか美学というのは大事だなと思ったりします。

 

 美学というのは、一定程度価値観が共有されていないと効果がないので、そういう価値観が共有されなくなってきたのかもしれません。一人一人を見ると皆能力があって一生懸命にやっていて努力家で立派なんですけどねぇ。組織になるとなぜ残念な感じになってしまうのでしょうか。