疲れてくる理由が少しわかった

 新型コロナ騒動で世の中は大変です。

 

 運が良いのか悪いのか、個人的に私は元々3月の期末をもって一旦仕事を辞め、引っ越しをして生活が変わるタイミングでした。なので、家にこもる事は周囲の事情もさることながら、自分の都合でもあります。だから、大変な状態にありながら、国の「コロナのせいで困っている」人向けの支援対象でもなく、微妙に残念な立ち位置です。厳密にいえば、進むはずの手続きや行動が外出自粛で思うように進まず、空白期間が延びてしまっており、危機感はあります。

 

 私は、心理的にも物理的にも人との距離は遠い方なので、感染リスクは低めです。ネットなどから得た情報を自分なりに解釈すると、元々行動範囲も狭く活動量も少な目の私が外出自粛をしても意味がなかろうと思うわけですが、国の方針には従って引きこもっている次第です。人々の関心がひとつの出来事に集中しているので話題も豊富で、それについて色々と意見はありますが、いい加減に辟易してきている理由はその事についてではありません。

 

 最近テレビやSNSを見る時間が減ってきていて、その理由を考えてみたところ、ひとつの理由が思い当たりました。それは、皆が皆揃いも揃って「誰か(私)」に対して主張やら意見やら批判やら不平不満やら依頼やら共感やらなだめすかしやらを押し付けているように感じになってきたからです。ただただ自分の感情を「誰か(私)」に投げつける、自分ではない無知な「誰か(私)」に正しい情報を伝えてあげる、、、、

 

 いや、以前からそういった性質のものではありましたが、今回は世界中の関心事がひとつの事に集中してしまったせいなのかもしれません。今まではみんな別の方向を向いていて、多種多様な事に対して発信していたからこそ、その時の自分に必要な情報を取捨選択できていたのかもしれません。だとしたら多様性って大事。

 

 あ、これは私の嫌いな「ごめんなさぁい、今日の最下位は牡羊座のあなた」っていう、頼んでもいないのに勝手に占って最下位を謝る、あの傲慢さに似ている。今まではそういう場所を選ばなければ遭遇しなかったのに、最近はどこもかしこもこの調子。みーんな「誰か」に向かって投げつけます。「そこのあなた!あなたの問題なんですよ」「そこのあなた!外出しないで」「そこのあなた!医療従事者に感謝して」「そこのあなた!退屈でしょう」「そこのあなた!がんばりましょう」「そこのあなた!そこのあなた!」

 

 意識的に遠ざかけてはいるものの、そこそこの情報も必要なので難しい。ま、四の五の言う前に自分のやるべき事に向かえ、という話です。