何となく続けている献血
昔から気が向いた時に献血に行っている。
最近は登録しておくと、最寄りの駅前に献血カーが来る日に献血依頼のメールが来るので便利。
前回、久しぶりに献血したら、献血できるハードルが上がっていて驚いた。
なんか歯の治療とか海外滞在とか予防接種とか、ちょっと何かあると弾かれる模様で、そこで落とされて(?)いる人も見た。
こんなに条件つけたら献血できる人少なそうだがリスクなんだろう。
もう「献血できる私、選ばれし者」といった風情があった。
献血特典に献血パックのキーホルダー(これは可愛かった)と献血車のチョロQももらった。
今回は運動も兼ねて3kmほどの距離を歩いて行った。
そしたら問診で「え?歩き?うーーーん」と良くないなー的な反応。
問診で言ったら、次の場所にも伝わっていて「少しでも具合悪くなったらすぐ座ってくださいね」と即言われた。
問診票に記入されてあったのかも。
献血して具合が悪くなったことがないので随分慎重だなと。
そんなものだったか?献血。
受付が終ったらいの一番にスポーツドリンクを渡される。
「まず飲め」と言われたので飲む。
採血の際にも「多めに飲め」と言われ、ガブガブ飲む。
確かに血液の出も良く、今までで一番早く終わった気がする。
だがしかし、終わった後近くの中華屋で好物の酸辣湯麺を食べるはずだったのだが、スポーツドリンクでお腹が一杯で断念。
楽しみにしていたのに無念であった。
私は献血すると、身体が温かくなり少し調子が良くなる気がする。
減った分の血液で身体を動かすために、血液循環を良くしてるというイメージ。
もともとあまり活動的ではないので、血の巡りも悪いのでたまにはこういった外からの刺激を加えるのもいいのではないかと勝手に想像している。
そういえば、血液は一向に作れるようになったという話を聞かない。
色々解明されたり発明されたり進化すれど、血液は難しい模様。
血液を集めるのは重要なのかもしれないが、そのコストも結構かかっていそう。
まず、献血カーで働いている人も1台につき10人くらいいるし、お医者さんもいるっぽいし(問診)、献血前や後に配るチラシの作成やらお土産にくれる飲み物やお菓子など、結構お金がかかっていそう。
今回はなかったが献血ルームとかではお菓子が置いてあったり、記念品が配られたり、今は専用アプリもある。
献血は特に何も考えずに提供できるボランティアという感じで続けているが役に立ってるのかな。
芸能界でジュニアから養成する必要はないと思う
よくよく考えると、芸能事務所に所属するために希望するこどもたちを集めて養成するのは問題なのではないかと思うようになった。
少年野球や少年サッカーなどは、特に身体能力やセンスが優れている場合にはクラブなどに入ることはあるだろうが、どちらかと言えば教育目的だ。
煌びやかなスターが所属する芸能事務所がそれらを餌にジュニアなどと謳って小中高生時代を搾取し、貴重な時間を訓練や収録に費やしたりするのはおかしい。
一般教養や知識の勉強だの文化祭だの体育祭だの修学旅行だの恋愛のドキドキだの、しょうもない会話だの友達とカラオケ行くとかディズニーランドに行くとか、そういうフツーの若者の時代の経験の方が大切では?
歌が好きだとか、バンドやりたいだとか、芸人になりたいとか、俳優になりたいなどの場合、こどもの頃から養成する必要はないように思う。
ダンサーになりたいのであればダンスを習い、モデルになりたいのであればモデル事務所に応募すればいい。
養成所であれば、吉本のように成人してからでいいのではないか。
まだ何者でもないこどものうちから歌だ踊りだとか、芸能界の礼儀やマナーを教え込むのは危うい。
ジャニーズジュニアとは何を養成しているのかと考えてしまう。
ジャニーズタレントで独立して歌手になっている人もダンサーになっている人モデルになっている人も数少ない。
基本的には芸能界のみならず、働いてお金を得るのは大人になってからでよい。(子役とか特例はあるのだろうが)
個人的にジャニーズ問題が公になったことで、ルッキズムも和らぐのではないかと想像している。
ここ最近の異常なまでのルッキズムにジャニーズも貢献していたのではないかと思っている。
ジャニーズが何の能力に秀でているのかと突き詰めると一番は見た目。
確かにジャニーズタレントは綺麗。
イケメンであることの価値が一番高く、プラスある程度の歌や踊りが必須、続いて人柄やトークといったところのように感じる。
最近の良しとされている男性アイドルの受け入れ難いところは、少年のような体型。
肩幅が狭すぎ、痩せすぎていて俳優として社会人を演じていてもこどものようですごく違和感があり、演技以前に全く現実味がない。
脳科学者の茂木さんが「ジャニーズは学芸会」と言って炎上していたが、少しわかる。
何かの能力が秀でていて認知されているわけではないから。
私もジャニーズ出身で好きな人もいるし、好きな歌もあるし、役者として素敵な人もいるけれど、私たち大人が彼らの少年時代を消費してしまったのではないかと胸が痛むこともある。
これを機に少年時代からこどもを集めて養成するのはやめたらどうだろう。
我々はこどもが健全なこども時代を過ごせるよう見守る役になったらどうだろう。
少子化の時代にこどもを大切にするって、そういうことなのではないか。
日本がグルメ大国になる必然
食べ物が美味しい国になるにはいくつか条件がある。
その第一は、全体的に組織がクソであり、集団の中では独自性に価値が置かれないこと。
第二に、家庭や家族を軽視する社会であること。
第三に、あまりたくさんの賃金を与えず、ギリギリにしておくこと。
第四に、小さく儲けることは見逃すこと。
第五に、美味しいものをテレビで取り上げること。
と、適当なことを並べてみたが、日本がグルメ大国になるのはとても理にかなっているということが言いたかった。
日本は海外のように何か新しいことで自己実現できるビッグチャンスが少なく、究極の娯楽である食がひたすらに先鋭化されている。
頑張っても良くならない景気、成果を潰されたり出る杭になって打たれたり、大きな組織の中で頑張っても豊かになれない中、美味しいものを作ったり食べたりすることだけは個人の範疇に収まる。
だから個人レベルで自由に創作できるし、自由に消費できる。
ちょっとお金を払えば自由に好きなものを選んで食べられる。
食べ物の世界はとても発展的。
一人一人が美味しさを探求できるし、それを発信する場もある。
美味しいものを楽しむことは万人に許されている。
純粋に美味しさを楽しむことができる。
老いも若きも、礼儀知らずも力の弱いものも、男も女も、学歴がある人もない人も、どんな人でも美味しいものを探求し、享受することができる。
そして、それを商売にすることもできる。
八百万の神に感謝する日本人は、美味しいものを作ってくれる人には感謝を惜しまない。
美味しいものを提供できる人はどんどん尊敬され、名前が知られ広がっていく。
他でやりたいことを追う場合は、厳しい壁が聳えているが、美味しいものに関しては道を阻むものはおらず、いつも開かれている。
日本は食べ物に関してだけはとても自由だ。
生クリームの絞り口のように、外から圧をかけられた意欲や使命感の出口は食べ物。
そこだけはみんなに開かれている。
集団になると腐るので、人数は少ない方が良い。
そして脈々と個人が努力に努力を重ね、お客の「美味しい」「ありがとう」の笑顔に励まされて改良に改良を重ねて、何を食べても美味しい日本が出来上がったのではないか。
小さいことにイラつかずに生きる
年をとってきたせいか、ちょっとした小さなことでイラッとしたり、違和感を覚えてモヤモヤしたりすることが増えてきた。
それはなぜなのかを探ってみると、従来の常識から外れている、思っているように物事が進まないなど、想定外という特徴があることがわかる。
・こちらの質問を勝手に解釈して先回りした答えを次々返されたり「それを聞いてんじゃない」
・客を無知無能扱いしているのか、こちらには不必要な説明を一からしたり「子どもじゃないんだから」
・自分の保身のみを考えた仕組みを当然のように押し付けてきたり(郵便局)「ただただサービスの使い勝手が悪いのよ」
・駅前の二つ並んでいる500円と700円の駐車場で、私が行く時500円の方がほぼほぼ「満車」になっているし「ちょっと前までよく空いていたのに」
・今まで通っていた美容室の予約は2週間先まで埋まっているし「普通の美容室なのにどーゆーこと」
・小市民に対しての相続手続きでの、疑り深い審査「一体何を審査されなきゃいけないのか」
・↑に対して邪悪な人はスルーッと滑らかに違法に富を得る「結局善人に対してだけネチネチと煩雑な手続きを執拗にさせてるだけ」
・役所関係のスーパーわかりにくい書類「無限げんなり」
・近隣に駐車場が多数ある場合の料金システムの迷宮「皆ちょっとずつ料金体系の範囲をずらしていて、結局いくらなのかすぐにはわからないんじゃ!」
・「今すぐ10000円プレゼント」などと紛らわしい表示「クレカ勧誘か、いらない。むしろ解約したい」
・ニュースのように見える文体や写真の引用ツイート見に行くと、途中から有料で読めなくなるストレス「有料なら最初からそう言え、見に行かないから」
・微妙にサイズが違うスチールラック(ちょっと前にブログに上げ済み)
・漢字やカタカナの変換で永遠に出てこないのがある「ムキー」
このように、何かしようと思ったらすぐイラッとすることにぶち当たる。
こんなことでイラついていたら私の豆腐のメンタルがもたない。
ということで最近は、イラつきのハードルを下げて「色々仕方ない」と思うようにしている。
ポイントは「だいたいは思うようにいかないもの」と想定しておくこと。
自分の能力も含め人の言語理解力、サービスや常識、美意識が劣化していく面があることを受け入れる。
その分どこかで何かが進化しているのだ。
小さなイラつきに揉まれて、きっと私も進化しているはず。
個人は優秀なのに組織になるとダメなのはなぜ?
日本はダメだダメだと言われるが、よく見てみるとめっちゃ優秀な人も多い。
いや、今個人で何かをやっている人達の能力はかなりすごいと思う。
一般人だってよく働くしやる気あるし、それぞれ一人一人は言われるほど酷くない。
なのに、組織として見た途端に「あれっ?」な点が多くなってしまうのはなぜなんだろう。
それは何かを「変える力がない」ということじゃないかと。
一人なら柔軟に変えられるのに、集団になった途端変えられなくなる。
一旦軌道に乗って進んでいることを変えることができない。
変化のタイミングが早ければちょっとの軌道修正で済んでも、そのタイミングを逃すと変えるのに大きな力が必要になる。
世界展開をしているグローバル企業だって、(世界基準で見れば)変われないが故に衰退しているのではないか。
なぜ変われないのか。
単に高齢化とか老害とか決めつけても不毛。
それは、損をすることに対する抵抗感が大きくなったからではないか。
泉房穂氏が「何かを変えようと思ったら絶対に誰かから嫌われる。それを恐れていたら何も変わらない。政治家は嫌われるのが仕事」というようなことを言っていたが、その通りだと思う。
何かを変えると損をする人が必ず出てくる。
非難されることを強烈に嫌う。
組織が大きくなればなるほど、そこを突破できなくなっているのではないか。
何かを決めなければいけないことも、近頃は「○○を決めるための会合を持つ必要性の確認で合意した」とか「メンバーの選定に入った」とか「○月から協議に入る」とか。
それってニュースなのか?一体いつになったら話し合いが始まるんだ?緊急性のある事なのに何ヶ月も先って、、、ってことばかりで、もう興味も削がれてしまう。
昨今のジャニーズ問題にしても、BBCや国連に突きつけられ、さらに当事者の外国特派員向け記者会見での告白を経てようやく動き出している。
この件だってきっかけはガーシー。
こういう人の手を借りないと物事が動かないのが悲しい。
日本だって熱量が高くて優秀な人多いはずなのに、集団になるとパフォーマンス下がる不思議。
中古戸建を選ぶためのリストメモ
現時点における中古戸建を選ぶためのリスト
【やめとく】
・旗竿地
・土台に高低差のある家
・再建築不可
・契約不適合責任免責物件
・地目が山林や雑種地の土地
・1階が吹き抜け
・広すぎるリビング
・借地権
・河川の側
・お墓の横もしくは前
・築50年以上
【必ず欲しい】
・カースペース
・地目が宅地
・所有権
・庭
【なるべく欲しい】
・築40年以内
・都市ガス
・車庫の屋根
・駅から歩ける距離
・土地面積50㎠以上
・隣の家との間のスペース
・格安の値段
・耐震性のある建物
・近くにスーパーやドラッグストア
【あると嬉しい】
・広い庭
色々あって選べない。
お金に余裕があればもっと探しやすいけれど、思うようにもいかない。
あと、かなり遠くまで範囲に入れればグッと対象が増えるけれど。。。
町自体が空き家だらけで、たくさん売りに出されている地域もちょっと考えものだけれど、その分すごく安くなってたり。
家を探していると、広告に次々に綺麗な家が表示される。
「200万円」とか出ている!
見に行くと「広島」とか。。。
いっそそこに行って200万円の家を買ってひっそり暮らせば幸せになれるのでは?などと、ありもしない想像をしてしまう。
何を優先するか、どう暮らしたいかをよく考えることが必要。
でもみんな一長一短でちょっとずつ違うので難しい。
段々見ている物件の額が上がってくるのも困る。
キリッとブレずに決めたい。