日本がグルメ大国になる必然
食べ物が美味しい国になるにはいくつか条件がある。
その第一は、全体的に組織がクソであり、集団の中では独自性に価値が置かれないこと。
第二に、家庭や家族を軽視する社会であること。
第三に、あまりたくさんの賃金を与えず、ギリギリにしておくこと。
第四に、小さく儲けることは見逃すこと。
第五に、美味しいものをテレビで取り上げること。
と、適当なことを並べてみたが、日本がグルメ大国になるのはとても理にかなっているということが言いたかった。
日本は海外のように何か新しいことで自己実現できるビッグチャンスが少なく、究極の娯楽である食がひたすらに先鋭化されている。
頑張っても良くならない景気、成果を潰されたり出る杭になって打たれたり、大きな組織の中で頑張っても豊かになれない中、美味しいものを作ったり食べたりすることだけは個人の範疇に収まる。
だから個人レベルで自由に創作できるし、自由に消費できる。
ちょっとお金を払えば自由に好きなものを選んで食べられる。
食べ物の世界はとても発展的。
一人一人が美味しさを探求できるし、それを発信する場もある。
美味しいものを楽しむことは万人に許されている。
純粋に美味しさを楽しむことができる。
老いも若きも、礼儀知らずも力の弱いものも、男も女も、学歴がある人もない人も、どんな人でも美味しいものを探求し、享受することができる。
そして、それを商売にすることもできる。
八百万の神に感謝する日本人は、美味しいものを作ってくれる人には感謝を惜しまない。
美味しいものを提供できる人はどんどん尊敬され、名前が知られ広がっていく。
他でやりたいことを追う場合は、厳しい壁が聳えているが、美味しいものに関しては道を阻むものはおらず、いつも開かれている。
日本は食べ物に関してだけはとても自由だ。
生クリームの絞り口のように、外から圧をかけられた意欲や使命感の出口は食べ物。
そこだけはみんなに開かれている。
集団になると腐るので、人数は少ない方が良い。
そして脈々と個人が努力に努力を重ね、お客の「美味しい」「ありがとう」の笑顔に励まされて改良に改良を重ねて、何を食べても美味しい日本が出来上がったのではないか。