小さいことにイラつかずに生きる

年をとってきたせいか、ちょっとした小さなことでイラッとしたり、違和感を覚えてモヤモヤしたりすることが増えてきた。

それはなぜなのかを探ってみると、従来の常識から外れている、思っているように物事が進まないなど、想定外という特徴があることがわかる。

 

・こちらの質問を勝手に解釈して先回りした答えを次々返されたり「それを聞いてんじゃない」

・客を無知無能扱いしているのか、こちらには不必要な説明を一からしたり「子どもじゃないんだから」

・自分の保身のみを考えた仕組みを当然のように押し付けてきたり(郵便局)「ただただサービスの使い勝手が悪いのよ」

・駅前の二つ並んでいる500円と700円の駐車場で、私が行く時500円の方がほぼほぼ「満車」になっているし「ちょっと前までよく空いていたのに」

・今まで通っていた美容室の予約は2週間先まで埋まっているし「普通の美容室なのにどーゆーこと」

・小市民に対しての相続手続きでの、疑り深い審査「一体何を審査されなきゃいけないのか」

・↑に対して邪悪な人はスルーッと滑らかに違法に富を得る「結局善人に対してだけネチネチと煩雑な手続きを執拗にさせてるだけ」

・役所関係のスーパーわかりにくい書類「無限げんなり」

・近隣に駐車場が多数ある場合の料金システムの迷宮「皆ちょっとずつ料金体系の範囲をずらしていて、結局いくらなのかすぐにはわからないんじゃ!」

・「今すぐ10000円プレゼント」などと紛らわしい表示「クレカ勧誘か、いらない。むしろ解約したい」

・ニュースのように見える文体や写真の引用ツイート見に行くと、途中から有料で読めなくなるストレス「有料なら最初からそう言え、見に行かないから」

・微妙にサイズが違うスチールラック(ちょっと前にブログに上げ済み)

・漢字やカタカナの変換で永遠に出てこないのがある「ムキー」

 

このように、何かしようと思ったらすぐイラッとすることにぶち当たる。

こんなことでイラついていたら私の豆腐のメンタルがもたない。

ということで最近は、イラつきのハードルを下げて「色々仕方ない」と思うようにしている。

ポイントは「だいたいは思うようにいかないもの」と想定しておくこと。

自分の能力も含め人の言語理解力、サービスや常識、美意識が劣化していく面があることを受け入れる。

その分どこかで何かが進化しているのだ。

小さなイラつきに揉まれて、きっと私も進化しているはず。